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2013/09/17 9:23
広島に投下された原爆により、原爆投下10年後に白血病を発病。
闘病中、佐々木禎子さんは、回復を信じて1,300以上の折り鶴を折り続けた。
その願いは叶わず、1955年、12才の短い生涯を終えた禎子さんの折り鶴は、
世界平和のシンボルとなった。「サダコの折り鶴エキシビット」は、
禎子さんの話を世界中の人々と分かち合うためのものである。
【ハワイ州パールハーバー発】1980年以来、ナショナル・パーク・サービスは、真珠湾攻撃とその余波を世界中から訪れる数百万人の観光客の人々と分かち合って、また第二次世界大戦への米国の参戦の話、真珠湾攻撃当日、犠牲となった数千人の軍人、そして日本との最終的な和解は、佐々木禎子さんという広島出身の特筆すべき若い女性のストーリーを含む話にまで広がったのである。
「サダコの折り鶴エキシビット」常設展示物除幕式は、2013年9月21日(土)午前9時から10時までパールハーバー・ビジターセンターで開催される。このイベントは無料で、一般の人の参加も可。正式プログラムには、ハワイと日本の神式祈りのブレッシング、太鼓パフォーマンス、 折り鶴やリースの贈呈、政府高官の列席、佐々木禎子さんのご家族の列席、USSアリゾナの生存者の列席やスピーチ等が含まれる。
除幕式の後は、折り紙やミニチュアブック・メーキングの無料プレゼンテーションが午後2時まで行われる。「禎子の折り鶴」を記念して特別に創られたジュエリーや人気の高い子供用の本「SADAKO」も同センターのブックストアで購入できる。
佐々木禎子さんについて
彼女が2才の時、原爆が投下された。11才の時に被爆による白血病と診断された。1954年2月、禎子さんは広島赤十字病院に治療のため入院した。療養中、彼女は折り鶴にまつわるストーリー(千羽の鶴を折り紙で折ると神々のご加護が受けられる)を知った。病気の人が千羽の鶴を折ると、願いが叶えられるという日本の伝統的話である。禎子さんは、回復を願って1,300以上の鶴を折った。又、彼女は癒しや平和が世界を包む事を願った。禎子さんは、1955年10月、12才の短い生涯を終えたが、彼女の千羽の折り鶴が彼女と共に埋葬された。広島平和記念公園には、彼女が折った140の折り鶴と共に、禎子さんの級友が折った折り鶴も寄贈された。彼女の兄、佐々木雅弘さんは、6つの折り鶴を世界の人々と分かち合い、世界中で展示する事を目的に取っておいた。これらの1つが、ニューヨークの「トリビュートWTCビジターセンター」に贈呈され、もう1つはオーストリアの「平和博物館」に寄贈された。3つ目が、パールハーバー・ビジターセンターの常設展示物の一部として展示されている。
この新しいエキシビットには、日本占領、太平洋戦争終結のためのサンフランシスコ平和条約、太平洋戦争による様々な結果などが含まれている。特別にデザインされたパネルを通して、禎子さんの話、何故彼女が折り鶴を折ったか、折り鶴のもつ意義や重要性、彼女が亡くなる前に書いた言葉「私は折り鶴の翼に『平和』と書く。そうしたらどの鶴も世界中を飛び回るだろう」を含め、彼女の世界平和への希望と願いを分かち合う事ができる。
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